使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](1)

聖ヨセフを、普遍教会の保護者とする宣言150周年


 

「父の心で」:このようにヨセフはイエスを愛しました。四つの福音はすべてイエスを「ヨセフの子」と呼んでいます 。[1]


 二人の福音記者、マタイとルカは、ヨセフの姿を強調しています。少ししか語っていませんが、彼がどのような父親であったか、神の摂理によって彼に託された使命がどのようなものであったのかを理解するには十分です。


 ヨセフは貧しい大工で(マタ13・55参照)、マリアの婚約者でした(マタ1・18;ルカ1・27参照)。「正しい人」で(マタ1・19)、いつも神の律法の中に(ルカ2・22,27,39参照)、また四回もの夢を通して(マタ1・20;2・13,19,22参照)示された神のみ心に従う準備が出来ていました。ナザレからベツレヘムまでの、長くたいへんな旅の後で、メシア(救い主)が家畜小屋で生まれるのを見ました。他のところには「彼らのために場所がなかった」(ルカ2・7)からです。彼は、イスラエルの民を代表する羊飼いたちや(ルカ2・8-20参照)、異教の民を代表する博士たち(マタ2・1-12)の礼拝の証人です。


 ヨセフは、イエスの法的父の役割を担う勇気をもち、イエスに、天使によって啓示された名を付けました:「その子をイエスと名づけなさい。その子は自分の民を罪から救うからである」(マタ1・21)。よく知られているように、古代の人々の間で、人やものに名前を与えることは、その帰属を獲得することを意味しました。創世記の物語の中でアダムがしたように(2・19-20参照)。ヨセフは神殿で、生まれてから四十日目に、幼子を、母と共に主に捧げ、シメオンがイエスと母に対して行った預言を、驚きをもって聞きました(ルカ2・22-35参照)。イエスをヘロデから守るために、外国人としてエジプトに滞在しました(マタ2・13-19)。自分の国に戻った後、ガリラヤの、知られていない小さなナザレの村に隠れて住みました―そこからは「預言者は出ない」「何もよいものは出ない」と言われていました(ヨハ7・52;1・46)-。自分の生まれた町ベツレヘムからも、神殿のそびえるエルサレムからも遠く離れて。まさに、エルサレムへの巡礼の間に、12歳のイエスがいなくなったとき、ヨセフとマリアは心配して探し、イエスが神殿の中で律法の学者たちと論じあっているところを見つけました(ルカ2・41-50参照)。


[1]ルカ4・22;ヨハ6・42;[参照]マタ13・55;マコ6・3。

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