使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](10)
5.創造的勇気の父
もし、あらゆる真の内的癒しが、自分の物語(ストーリー)を受け入れること、つまり、わたしたちの人生の中で、自分が選択していないものにも、自分の中に空間を差し出すことであるなら、もう一つの大切な特徴を加える必要があります:創造的な勇気。それは特に、困難に遭遇したときに現れます。実際、困難を前にして、わたしたちは立ち止まり、競技場を放棄することも出来るし、何とかして頑張ることも出来ます。時に、まさに困難が、わたしたち一人ひとりの中にある、思っても見なかった資源を引き出してくれます。
ひじょうにしばしば、「幼年期の福音」を読んでいると、なぜ神は直接的、明確なやり方で介入しなかったのだろう、という問いかけが浮かびます。しかし神は、出来事や人を通して介入します。神はヨセフを通して、あがないの歴史の始まりを配慮します。ヨセフは、彼と共に神が、幼子とその母を救う、真の「奇跡」です。天は、この人の創造的勇気に信頼して介入します。ヨセフは、ベツレヘムに着き、マリアが出産できる宿がなかったので、世に来られる神の御子を迎える、出来る限りふさわしい場所となるよう、馬小屋を整え、準備します(ルカ2・6-7参照)。幼子を殺そうとするヘロデの、差し迫った危険に直面したヨセフは、再び夢の中で、幼子を守るよう警告を受け、真夜中にエジプトへの逃避を計画します(マタ2・13-14参照)。
これらの叙述を表面的に読むと、この世が強い人、権力のある人たちの支配の中にあるような印象を受けます。しかし、福音の「善い知らせ」は、地上の支配者たちの傲慢さや暴力にも関わらず、神がつねに、ご自身の救いの計画を実現するための方法を見出していることを示しています。わたしたちの人生も、時に、権力者たちの支配の中にあるように思われます。けれど福音はわたしたちに教えます。大切なのは、もしわたしたちが、ナザレの大工のように創造的な勇気を使うなら、神がつねに世を救うことが出来るということを。ヨセフはいつも、神のみ摂理への信頼を優先させながら、問題を機会(チャンス)に変えることを知っていました。
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