カラコシュ(Qaraqosh)と、教皇フランシスコから示された和解の歩み
(記者:Benedetta Capelli、バチカン市国)
(写真:司教座聖堂で行われた、子どもたちの初聖体)
フランシスコのイラク訪問から2ヵ月後。イラクの町の教区司祭Georges Jahola神父は、信徒たちの間の内省のプロセスがどの段階まで達したかを説明する。「特に、去って行った人々は、イラクが肥沃な土地であり得ることを理解した」、と神父は強調する。
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教皇が[2021年]3月7日に訪れた、ニネベ平原の町[カラコシュ]から、信仰の中に、生まれ変わる力、苦悩と暴力の場所を平和と祈りの場所に変える力を見出した共同体の姿が見えてくる。教皇フランシスコの訪問から二か月、初聖体を受けた子供たちの顔は、この地で始められた歩みを最も力強く証ししている。
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2014年にISによって12万人もの人々が逃亡せざるを得なかったこの地では、今日、和解、赦し、一致、希望が語られている。これは教皇フランシスコが使った言葉と同じである。教皇は、テロリストたちに略奪され、射撃場に変えられた「無原罪の聖母」教会で、「テロリズムと死は、決して最後の言葉ではありません」と繰り返した。
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今でも感じることが出来る訪問
教皇の言葉、ジェスチャーは、今も重みがあり、時とともにそれらの価値はより明確になっている。それは、カラコシュの「聖ベハナムとサラ(San Behnam e Sarah)」教会の教区司祭、Georges Jahola神父が繰り返し強調することである。
(神父)教皇の訪問後、信徒たちはそれを特別なときとして記憶し続け、いつも思い起こしています。また信徒たちは、教皇の言葉を思い起こし、それを現実の中で生きるため、自分のものとするために消化しようとしています。このようにして、教皇の訪問は今も存在し、生きています。
教皇フランシスコがカラコシュ訪問において贈った言葉を、どのような方法で自分のものにしようとしているのですか。
(神父)私たちはそれを、共同体での集まりや祈りの中で行っています。特に五月のこの時期には、教皇が私たちに言ったこと、全世界とイラクに関する教皇の提案を思い起こしています。私たちは、教皇の言葉を、祈りの中で、若者たちの集いでの分かち合いの中で追体験するために、自分のものにしようとしています。
この道を歩むうえで困難はありますか。
(神父)いいえ、ありません。なぜなら私たちは、大きな努力をしながらも、教皇が残してくれた現実を生きることを望んでいるからです。
教皇フランシスコは、かつてISの射撃場でもあった、カラコシュの「無原罪の聖母」司教座聖堂に入りました。あなたにとってあの瞬間はどのような意味をもったのでしょうか。
(神父)この象徴的な場所への教皇訪問は、私たちカラコシュの信徒たちにとっても、イラクのキリスト教会にとっても、祈り続けるためだけでなく、この地で生き、証しをし続けるための原動力となりました。
重要だったのは、共同体を築くよう促した教皇の言葉でした。特に、ISによる、共同体、社会(それは本当に半減してしまいました)の物質的だけでなく道徳的破壊の後に、私たちは再生を必要としていました。
今日、この歴史的訪問の後、キリスト者たちはどのように感じているのでしょうか。カラコシュのキリスト者たちはどのように生きているのでしょうか。
(神父)カラコシュのキリスト者たち、特に国を離れた後で、この地が肥沃になり得ることを知った私たちの信徒たちは、ひじょうに特別な方法で生活しています。彼らは、共同体、教会とのコンタクトを取り戻しました。ですから、教皇の訪問は、ここに残って自分たちの家に戻った信徒たち、国を離れた家族の双方を勇気づけました。教皇の訪問はこの勇気を残し、さらに、再び戻る可能性を開きました。たくさんの家族が、戻るために、自分たちの家を再建することを望んでいます。ですからここには、教皇が残した希望があります。
個人的に、司祭として、教皇は何を残してくれたのでしょうか。
(神父)私にとってそれは、私たちが信仰に固く留まるためのひじょうに重要な訪問であり、私たちの夢でもありました。また、カラコシュが小さな町、世界的に見れば小さな町であることを考えると意味深いことでした。教皇の訪問は私たちにとって、将来に向けての真に大きな後押しでした。
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