教皇フランシスコは「信徒カテキスタ」の務め(仮名)を制定

教皇フランシスコは2021年5月10日、

自発教令「アンティクウム・ミニステリウム(Antiquum ministerium)」を公布し、

「信徒カテキスタ」の務め(仮名)(The ministry of catechist)を制定しました。


それについては「バチカン放送日本語版」HPも参照してください。

https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2021-05/il-motu-proprio-antiquum-ministerium.html


教令の英語訳は:

http://www.vatican.va/content/francesco/en/motu_proprio/documents/papa-francesco-motu-proprio-20210510_antiquum-ministerium.html


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ここでは、それに関する、2021年5月11日付『オッセルバトーレ・ロマーノ』紙の

アンドレア・トルニエッリ(Andrea Tornielli)氏の記事の試訳を紹介します。


古代に根源をもち、未来を見つめる奉仕

[試訳]


1944年、第二次世界大戦中、ピオ12世は、キリストの神秘的「体」である教会にささげた回勅Mystici corporisを公布した。ある箇所で教皇は、教会の教父たちが「この『体』の任務、職業、階級、秩序、務め(i ministeri, i gradi, le professioni, gli stati, gli ordini, gli uffici)をたたえたとき」、信徒や、結婚した信徒たちのことも念頭に置いていることを思い起こした後、加えている:「確かに、特に現在の状況において、家庭の父母、洗礼の代父母、そして特に、『あがない主』のみ国を広めるために、教会のヒエラルキーと協力する信徒たちは、キリスト教社会において、たとえしばしば隠れているとしても、名誉ある地位を占めている。また彼らは、神からインスピレーションと助けを受け、イエス・キリストの約束によると教会において決して欠けることのない、最も高い聖性の頂点に上ることが出来るのである」。


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「信徒カテキスタ」の務め(il ministero laicale del catechista)を制定する、教皇フランシスコの決心は、女性の祭壇奉仕者(侍者:accolitato)と朗読奉仕者(lettorato)への道を開くことに続き、すでに教皇Pacelli(ピオ12世)が直感していた道に沿ったものだ:特に私たちの時代、新しい世代に信仰を証しし、継承する務めは、「家庭の父親、母親たち」の務めである。


すでに何世紀にもわたり、今日に至るまで、さまざまな国で、司祭が欠乏する中、信仰は、父親や母親たちのおかげで、また、このことのために人生を費やし、しばしば命を捧げてきたカテキスタたちのおかげで、生き生きと保たれてきた。


しかし今日、世俗化した社会において、信徒たちの関与、認識、十分な評価(la piena valorizzazione)は急務であり、しばしば必要とされている。


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自発教令Antiquum ministerium(アンティクウム・ミニステリウム)[2021年5月10日]は、第二バチカン公会議の『教会の宣教活動に関する教令(Ad gentes)』を出発点としている。その中で公会議教父たちは明言した:「同じく、諸民族への宣教活動において大きく貢献する男女のカテキスタの一群も称賛に値する。彼らは使徒的精神に満たされ、多大な労苦を重ねつつ、信仰と教会を広げるため特異かつきわめて不可欠な援助をもたらしている。福音宣教と司牧の対象となる者はきわめて多数であるのに対し、その役務を果たす聖職者が数少ない現代において、カテキスタの任務はとりわけ重大な意義をもっている」。


このような認識は、それに続く年月の中で増大し、パウロ6世の使徒的書簡『福音宣教(Evangelii nuntiandi )』に結実した。


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新しい要求にこたえるための、新しい信徒の務めの制定は、また、最近のアマゾンについての世界代表司教会議(シノドス)においても討議された。特に、Montini教皇(パウロ6世)が、1972年、それをもって教会における任務(ministeri)を改革した文書、自発教令Ministeria quaedamを呼び起こしながら。公会議やシノドスから浮かび上がった観点、ペトロの後継者たちの教導職、特に今日、現ローマ司教(教皇フランシスコ)の教導職において強調された観点からすると、信徒は、単に司祭の召命の欠如ゆえの代理の仕事を果たすように呼ばれているのではない。それは代理ではなく、完全で認識された行為、関与、共同責任についてである:彼らの存在は、教会が交わりとなり、宣教者となるために、真に必要なのである。


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教会の側からの、ある務めの制定は、このカリスマを授けられた人が、キリスト教共同体への、その生活の成長と信仰の証しのための、真の教会的奉仕を実現することを明確にしている。


信徒の務めの制定は、ゆえに、信徒の「聖職者化」のためになされるのではない。このさらなる一歩が、教皇フランシスコが、何度も公に非難している聖職者主義への回帰に反対する助けとなることを期待する。教皇は私たちに、しばしば神の聖なる民の役割、信仰の継承における祖母たち、母親たちの役割を思い起こしながら、「あがない主のみ国」を広めるよう呼ばれている「家庭の父母、洗礼の代父母たち」についてのピオ12世の言葉を実現している。

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