ポケットの中の福音書 神は、そのような方である
ポケットの中の福音書
神は、そのような方である
https://www.osservatoreromano.va/it/news/2021-05/quo-112/dio-e-cosi.html
Leonardo Sapienza氏(オッセルバトーレ・ロマーノ紙:2021年5月20日)[試訳]
今日、私たちが祝っている祝日は、私たちの神の神秘、すなわち三位一体の神秘を、謙虚に観想するよう招いている。
三位のペルソナの中の唯一の神。
聖コロンバンの書き物の中に、神秘を理解するというより、この神秘の偉大さを黙想するのを助けてくれる美しい箇所がある。「誰も、理解できない神の神秘、すなわち神が何であるか、どのように存在するのか、どこに存在するのかを調査できるとうぬぼれてはならない。このことだけを信じなければならない。しかし心の底から:神はこのような方であり、今までもこのような方であって、これからもこのような方であること。なぜなら神は変わることがないから」。
私たちの中の誰が、神は誰であるか、という問いかけに答えることが出来るだろう。勉強すること、調査することは役に立たない。神は「在る方」である。私たちは神秘を礼拝することしか出来ない。
コロンバンはさらに続ける。「もし誰かが、信じるべきことについて知りたいなら、それについて話すことより、信じることで、より理解できることに気づくべきです。実際、神の知識は、議論すればするほど私たちから遠ざかっていくように思われます」。だから、[このことについて]神学的考察に時間を費やすのはやめよう。聖パウロが第二朗読で思い起こしている甘美な真理を考えてみよう。私たちには、「お父さん」というやさしい名前で呼びかけることが出来る神がいる。
私たちには、父である神がいる。私たちを愛しているからこそ、ご自分を示すことを望む神。私たちをつねに自由なままにしながら、ご自分に似た者になるよう招いている神。神秘の神、しかし「愛」の神!
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