Tomáš Špidlík枢機卿『毎日の福音』(試訳) 年間第17月曜日:からし種、パン種(マタ13・31-35)
天の国は一粒のからし種に似ている
丘の上の城の廃墟。壁の間に、草、蔦、花が育っている。廃墟にはびこる草のイメージは美しい。石は死んでいるが、植物には命があり、命は死よりも強い。いくつかの最も小さな存在は、最も大きなエネルギーを持っている。例えば、急速に増えるバクテリアのように。
福音のたとえ話は、種と、そこから育つものの間にある違いを強調する。最も小さい種から育つ、カラシの茂み。
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世界の中、キリスト信者の数はますます減少し、グローバルな大組織の中で教会は消滅しつつある。しかし、少数の信者に縮小されることは、教会にとって不利なことではない。
重要なのは、これらの信徒たちが熱心な霊的生活を送ることだ。
祈りは一日の中で少しの時間だけを占めるが、もしそれが真実であれば、一日の残りの時間を使ってなし遂げる仕事よりも、私たちを変容する。
私たちは人生において、つねに大きな重要な決断をするわけではない。しかし、私たちが行う選択は、人格全体に方向性と価値を与える。
天の国はパン種に似ている
生地にパン種(酵母)を入れると、生地は膨らんで容器からあふれる。ほとんど魔法のような現象だが、それはパン種が持つ生命の力であり、パン種はそれを運ぶものだ。パン種は、私たちが洗礼の時に受け取る聖霊の力のメタファー(比喩)である。
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オリゲネスはたとえ話を詳細に解説するのを好む。福音に書かれている女は、パン種を三サトンの小麦粉の中に混ぜた。プラトン哲学は、人間の中に三つの要素、肉体、魂、精神を見分けた。これらの「三サトンの小麦粉」、つまり人間の三つの要素は、膨らませるために、つまり上昇させるために、聖霊を必要とする。
東方の著作家たちは、キリスト教的生活を、全世界の肉体と魂の漸進的な霊化と考えた。
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私たちの時代は、一種のグノーシス主義に満ちている。それによると、真の宗教とは、ただ内面的なもの、完全に心の中で、個人的に経験するものである。
もちろん、宗教は先ず内面的なものである。しかし、それが真実であれば、時と共に、外部に浸透し変えていく。すべての被造物が聖霊に参与しているからである。
やがて全体が膨らむ
パン種のたとえ話から、著作家たちは、日々の生活のための、いくつかの具体的な結論を引き出している。パン種は、行為に真の価値を与える善い意向のようなものだと彼らは言っている。
私たちは、人間の活動の中に、さまざまな段階を見分けることが出来る。
外面的なしぐさがある。貧しい人に施しをするために財布を開くこと。
精神的な態度がある。しぐさは、それを意識して行うことも、何も考えずに機械的に行うことも出来る。
道徳的態度がある。そのしぐさを、しつこい物乞いから解放されるために行ったのか、または、その人への真のいつくしみに動かされて行ったのか、という意識。
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「祈りの使徒職」会のカリスマは、まさに善い意向を呼び覚ますこと、つまり、私たちのすべての行動に超自然的な目的を与えることである。それらがすべて神の愛によって鼓舞されるように。
例えば、何かをする前に、「主よ、すべてはあなたのために」という短い射祷を唱えることが出来る。この意向は、行いの価値を成長させるパン種となる。このようにして、仕事は祈りとなる。
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