教皇フランシスコ 正午の祈り (年間第19主日:2023年8月13日)
教皇フランシスコは、年間第19主日に宣言される福音箇所、
イエスが水の上を歩いて弟子たちのところに行かれたエピソード(マタイ14・22-33)を黙想しながら、
「なぜ、イエスは水の上を歩かれたのか」と問いかけます。
皆さんは、何と答えるでしょうか?
簡単に答えられるようで、実はもっと深い意味がある、と考えさせられる問いかけです。
教皇フランシスコの言葉を聞きましょう。(試訳)
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愛する兄弟姉妹の皆さん、
今日、福音書は、イエスの特別な奇蹟を語っています。
イエスは夜、ガリラヤ湖の水の上を歩いて、
舟で向こう岸に渡ろうとしていた弟子たちに会いに行かれます(マタイ14・22-33参照)。
問いかけてみましょう。なぜイエスは、そのようなことをなさったのでしょうか?
見世物として?違います!それなら、なぜでしょうか?
向かい風に悩まされている弟子たちを助けるために、緊急で予測できない必要に迫られて?
いいえ、すべてを計画し、夕方に彼らを出発させたのは、主です。
福音書の箇所は、「強いて(無理やり)」(22節参照)出発させた、とさえ言っています。
ご自分の偉大さと力を弟子たちに示すため?
けれどそれは、主らしくありません。主はとても素朴(自然)だからです。
では、なぜそのようなことをなさったのでしょうか?
なぜ水の上を歩くことを望まれたのでしょうか?
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水の上を歩く、ということの背後には、直接的ではない、私たちが把握すべきメッセージがあります。
実際、当時、水の大いなる広がりは、人間が支配することの出来ない悪の力の座と考えられていました。
特に、嵐に揺さぶられたとき、深淵は混沌の象徴であり、地獄の闇を呼び起こしました。
今、弟子たちは暗闇の湖の真ん中にいます。
彼らの中には、沈没する恐怖、悪に吸い込まれる恐怖があります。
そして、そこに、イエスが来られます。水の上、つまり悪の力の上を歩いて来られます。
イエスは、悪の力の上を歩き、弟子たちに向かって言われます。
「安心しなさい(勇気を出しなさい)。わたしである。恐れることはない!」(27節)。
すべて、イエスが私たちに与えてくださるメッセージです。
この徴が意味することは、
私たちを怯えさせ、私たちが支配することのできない邪悪な力は、イエスによって直ちに弱められるということです。
イエスは水の上を歩きながら、私たちに言おうとしているのです。
「恐れるな、私はあなたの敵たちを足の下に置く」。
すばらしいメッセージです:「私はあなたの敵たちを足の下に置く」。
[敵たちとは]人々のことではありません、敵である人のことではありません。
そうではなく、死、罪、悪魔です。これが、人間の敵、私たちの敵です。
そして、イエスは、私たちのために、これらの敵たちを足下に踏みつけます。
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キリストは今日、私たち一人ひとりに繰り返しておられます。
「安心しなさい(勇気を出しなさい)。わたしである。恐れることはない!」
勇気を出しなさい――わたしがいるから、人生の荒波の中であなたはもはや孤独ではないから。
それなら、大海原で逆風に翻弄されているとき、私たちはどうすればいいのでしょうか?
大海原という恐れの中で、暗闇しか見えず、自分が失われてしまったと感じるとき、どうすればいいのでしょうか?
私たちは二つのことをしなければなりません。それは、福音書の中で弟子たちがしていることです。
弟子たちは何をしたのでしょうか?――弟子たちは、イエスを呼び求め、イエスを迎え入れます。
最悪で、最も暗いとき、嵐のとき、イエスを呼び求め、イエスを迎え入れること。
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弟子たちは、イエスを呼び求めます。
ペトロは、イエスに向かって水の上を少し歩きますが、怖くなり、沈みかけたので、
「主よ、助けてください(私を救ってください!)」(30節)と叫びます。
イエスに嘆願し、イエスに呼びかけます。
これは、美しい祈りです。
主は、私たちを救うことが出来るという確信、
主は、私たちの悪、私たちの恐れに打ち勝つという確信を表している祈りです。
今、この祈りを繰り返しましょう。みんな一緒に。「主よ、私を救ってください!」
三回、一緒に繰り返しましょう。
主よ、私を救ってください! 主よ、私を救ってください! 主よ、私を救ってください!
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そして、弟子たちは迎え入れます。
先ず、イエスを呼び求め、それからイエスを舟に迎え入れます。
福音の箇所は言っています。イエスが舟に乗り込むとすぐに「風はおさまった」(32節)と。
主は、人生という舟が、教会という舟と同様に、逆風に脅かされていることを知っています。
私たちの航海している海が、しばしば荒れることを知っています。
主は、私たちが航海の困難に遭わないように守ることはしません(困難から保護しません)。
それどころか、福音書が強調しているように、ご自分の弟子たちを「強いて」出発させます。
つまり、主は私たちに、困難と立ち向かうよう招きます。
困難もまた、救いの場、イエスと出会うための機会となるためです。イエスは困難に打ち勝つからです。
実際イエスは、私たちが暗闇の中にいるとき、
あの湖の夜のように、私たちに会いに来てくださいます。迎え入れられることを求めながら。
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ですから、自分に問いかけてみましょう。
恐れの中で、困難の中で、私はどのように振舞っているだろうか?
自分の力で、独りで前に進もうとしているだろうか、それとも、信頼をもって主を呼び求めているだろうか?
私の信仰はどうだろうか?キリストは波や逆風よりも強いと信じているだろうか?
そして何よりも、私は主とともに航海しているだろうか。
主を迎え入れ、私の人生という舟の中に、主のための場所を作り(決して独りではなく、いつもイエスと共に)、
恐れを主に委ねているだろうか?
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イエスの母マリア、海の星よ、
暗い航海の中で、イエスの光を求めることができるよう、私たちを助けてください。
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