イエスは、生きておられる神、「今」、私と共におられる神 マリアは「歩みの母」(Madre del cammino)(独り言:2023年8月29日)

教皇フランシスコは、2023年8月27日、年間第21主日の正午の祈りで、

その日の福音(マタイ16・13-20)の中の、使徒ペトロの信仰宣言に留まります。


「あなたは生ける神の子、メシア(キリスト)です」(16節)。


イエスは決して、過去の人物ではありません。

どんなに偉大であっても、思い出の中にだけ存在する歴史のヒーロー(英雄)ではありません。

私たちから遠く離れた昔の預言者ではありません。


イエスは、「生きておられる神」、つねに「今」である神、

今、私の傍らにおられ、共に歩んでくださる神です。


イエスが共におられるから、人生において、私は決して独りではない、と教皇は強調されます。

そして、私の傍らにおられ、私と共に歩んでくださるイエスを体験することから、

今度は私が、孤独な人に、共におられる神を運ぶことが出来る、

イエスのまなざし、ほほえみを運ぶことが出来るのだ、と。


***

教皇フランシスコにとって、イエスの母マリアのイメージは、

聖霊の風に息吹かれて、「動き」の中にいる、真に「自由」な女性です。

「生ける神の子、メシア」の母は、私たちの「歩み」に寄り添います。


自分のことよりも、私たちを「気遣う」母、

私たちを助けるために「急ぐ母」、

私たちと共に歩んでくださる、「歩みの母(Madre del cammino)」です。


マリア自身、その生涯において、つねに「歩み」の中にいました。

先の予想が出来ない、時に、真っ暗闇の中で(十字架の下)、

マリアのまなざしは自分の心配事ではなく、他者の苦しみの上に留まります。

自分の運命を、人間的計算ではなく、神の「サプライズ(驚き)」に委ねます。


主イエスの、十字架上からの荘厳な言葉、「見なさい、あなたの母です」。

この言葉に、私自身、何度、目を覚まされたでしょうか。


イエスは決して私たちを苦しみの中に放っておきません。

イエスご自身が、最も深い苦しみの中におられたとき、

そのまなざしは、苦しむ弟子ヨハネの上に、ヨハネを通してすべての弟子たち、私たちの上に注がれます。


「苦しみの中に閉じこもらないでください。

あなたの闇がどんなに深くても、それは出口のない絶望ではありません。

見なさい、あなたの母です。あなたの母のマントのもとに逃れなさい。

そこで、わたしに再び会うでしょう」。


マリアは、エリサベトを訪問した時のように、つねに御子イエスを私たちに運んでくださいます。

マリアのマントの下は、私たちが御子イエスと出会う「場」です。

「歩みの母」であるマリアは、この世の道のりに苦労している私たちと共に歩みながら、御子を示します。


教皇フランシスコは、メキシコのグアダルーペで、

聖母が、落胆しているホワン・ディエゴに語り掛けた言葉を、とりわけ気に入っておられます。


ホワン・ディエゴは、聖母から託されたメッセージをなかなか信じてもらえず、

ついには司教から追い返され、自分よりもふさわしい誰かほかの人に任せるよう聖母に願います。

けれど聖母は、ホワン・ディエゴに耐え忍ぶよう招きます。


「動揺しないでください[…]あなたの母である私が、ここにいるではありませんか?」


と言いながら。


***

「あなたの母である私が、ここにいるではありませんか?」

この言葉に、十字架上のイエスの言葉、「見なさい、あなたの母です」、が、重なります。


教皇の言葉を聞きましょう。


聖母は、私たちを慰めながら、前に進ませます。
このようにして、子どもの歩みを見守りながら、世の中の課題(チャレンジ)の中に飛び込ませる善い母親のように、
私たちを成長させます。


聖母は、私たちにも、ホワン・ディエゴに言われたのと同じ言葉を語り掛けている、と教皇は強調します。


ひじょうにしばしば、私たちが悲嘆、悲しみ、困難の中にいるとき、
心の中に、それを言われます。
「あなたの母である私が、ここにいるではありませんか?」

聖母は、いつもそばにおられます。私たちを慰め、前に進むための力づけるために。

(教皇フランシスコ、一般謁見:2023年8月23日)


***

母であるマリアは、私たちが御子イエスと出会う「場」です。

母であるマリアの唯一の望みは、私たちに、最も大切な宝、御子イエスを示すことです。

私たちが、御子イエスを、生活の中心に受け入れることです。

東方教会のイコンが示しているように、マリアはつねに、御子イエスと共にいて、御子を私たちに示しています。


教皇フランシスコは、正午の祈りの講話を、マリアへの祈りで結んでいます。


歩みの母、マリアよ、
私たちが、生きておられる御子、私たちの傍らにおられる御子を感じられるよう、助けてください。
Maria, Madre del cammino, ci aiuti a sentire il suo Figlio vivo e presente accanto a noi.

(教皇フランシスコ、正午の祈り:2023年8月27日)。


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