聖年の門が開かれる…
「マリア論オンライン講座」、第五期の三回目の中で、
また、マリアのミニ動画、43回目の中で、
「聖年の門が開かれる」というテーマでお話ししました。
以下、お話したことの一部です。
聖年の開幕(2024年12月24日:主の降誕祭前夜)
2025年の通常聖年は、2024年12月24日、主の降誕祭前夜、イタリア時間で19時、
教皇フランシスコによって、聖ペトロ大聖堂の「聖門(聖なる扉:Holy Door)」が開かれることで始まります。
その後、大聖堂で主の降誕の夜半ミサが捧げられます。
聖年の閉幕(2026年1月6日:主の公現の祭日)
聖年の閉幕は、2026年1月6日、主の公現の祭日で、
そのとき、教皇によって聖ペトロ大聖堂の聖門が閉じられます。
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聖年の間、「聖門(聖なる扉)」は、ローマの四大聖堂から始まって、
地方教会の司教座聖堂、指定された聖堂で開かれます。
それについては、教皇フランシスコが聖年のために公布した勅書
『希望は欺かない(Spes non confundit)』の6項に示されています。
教皇フランシスコ 『希望は欺かない(Spes non confundit)』
――2025年の通常聖年公布の大勅書(2024年5月9日)
ローマの四大聖堂の聖門が開くのは:
・聖ペトロ大聖堂:2024年12月24日(主の降誕祭前夜)(聖年開幕)。
・聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂:2024年12月29日(主の降誕に続く主日)。
・聖マリア大聖堂:2025年1月1日(神の母聖マリアの祭日)。
・城壁外の聖パウロ大聖堂:2025年1月25日(聖パウロの回心の祝日)。
さらに、すべての司教座聖堂と共同司教座聖堂の聖門は、
教区司教によって、2024年12月29日の主日に開かれ、感謝の祭儀が捧げられます。
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聖門が閉じられるのは、
・三大聖堂:2025年12月28日(主の降誕祭に続く主日)。
・聖ペトロ大聖堂:2026年1月6日(主の公現の日)(聖年閉幕)。
聖ペトロ大聖堂の聖門が閉じられることをもって、聖年は閉幕します。
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勅書の中で、教皇は、最近祝った通常聖年を思い起こした後、
「そして今、新たな聖年の時が来ました」と言われます。
この聖年の間に聖なる扉が再び大きく開かれ、
キリストにおける救いという確かな希望を心に呼び起こす、
神の愛の生きた体験がもたらされます(6項)。
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神の愛の「生きた体験」、
イタリア語では、l’esperienza viva dell’amore di Dio(神の愛の、生き生きとした体験)、
英語訳では、an intense experience of the love of God(神の愛の、強烈な、濃い体験)。
神の愛を、頭の中で理解するだけではなく、
全身全霊で、まさに「歩み」の中で体験する時であることを、教皇は強調しています。
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25年ごとの通常聖年の原点は、
神の御子が人となった出来事(受肉・降誕)です。
実際、教皇も思い起こしているように、
前回の通常聖年には、
私たちは、イエス・キリストの生誕2000年の大聖年を祝いました。
さらに、この2025年の聖年における「希望の巡礼者」の歩みは、
2033年の特別聖年に向かっての歩みでもあります。
2033年、つまり、
「主イエスの受難と死と復活によってなし遂げられた、あがないの2000周年」を祝う時。
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神の御子の受肉の神秘と、過越(受難・死・復活)の神秘は、
一つの神秘であることを、講座の中で、何度も話しました。
教会の教父たちが言っているように、
神の御子が人となったのは、
私たちのため、私たちの救いのために、
十字架につけられて、死に、復活するためでした。
神の御子の誕生の神秘がなければ、死・復活の神秘はありませんが、
それと同時に、神の御子の死・復活の神秘がなければ、誕生の神秘もありません。
ですから、私たちは2025年の聖年において、
主イエスの生誕の出来事を思い起こしながら、
「主イエスの受難と死と復活によってなし遂げられた、あがない」の出来事に向かって歩むのです。
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「門・扉」が開け放たれる、大きく開かれる…
それは私たちに、神の溢れるほどの恵みは、つねに私たちに開かれていることを思い起こしています。
「熱い信仰をもって歩み、愛のわざに励み、辛抱強く希望し続ける(一テサロニケ1・3参照)民」に、
神の恵みが先行し、また同伴することの象徴とも言えるでしょう。
聖年に、聖なる門が開かれ、
信仰をもって、その門から入る人々に、
神のいつくしみの宝が解放されます。
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開かれる門は、象徴的に、私たちを招いています。
私たちも心の門を開き、
神のいつくしみによって満たされるに任せ、
そして今度は、私たち自身が神のいつくしみのしるし、道具として出かけて行くように、と。
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おとめマリアは、神の「夢」の実現に、「はい」を差し出し、
この、一番大切な掟、愛のみ言葉を、心に、存在の中に刻みました。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」
神を愛し、隣人を愛する準備が出来ている、開かれた心。
兄弟姉妹の「顔」、存在の中に、
神がどれほど私たちを愛してくださっているかを認めることの出来る心。
十字架のもとに立っても、
神のいつくしみの勝利を希望し続けることの出来る心。
それは、日々の小さなことの中で、少しずつ、準備されていく心です。
今日よりも明日、明日よりも明後日…と、
復活の主の霊である聖霊に、少しずつ心を開きながら。
そのようにして、私たちの心から始まって、
神の夢――すべての子らがご自分のもとに帰ってくること――が実現していくのでしょう。
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