Sr.ルカの独り言:「パミる」(その2)
[「パミる」については、10月21日の独り言参照]
Teresaさんは、会社に行く前、「朝練」ならぬ「朝パミ」朝5時にはすでに「パミって」いる。
Agneseさんは、仕事を終えて家に帰り、Coffeにgrappa(グラッパ)を入れて「夜パミ」。
Sr.ルカは、朝5:20から始まる共同体の祈りの中でわたしたちスタッフの、これから始まる一日の活動が神さまのお望みにかなうものになりますように、神さまの夢の実現のための、一本の緯糸(よこいと)、一片のモザイクになりますように、と祈る。
わたしたちが、「PAMI-JAPAN」の名称にふさわしいものでありますように!
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世界中でのPAMIの活動が
Facebookで毎日知らされてくる。
特に、PAMIの協働者、わたしの尊敬する友人、
トリエステ(北イタリア)のイマーム(イスラム教指導者)
Nader Akkad師が、詳細なコメントを付けて伝えてくれる。
それらを、出来れば一言日本語を添えてシェアする。
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コロナ・パンデミックの世界において
「閉じこもる」誘惑をはねつけ、
「他者のために空間を差し出す」生き方、
人となった神の御子、イエス・キリストの生き方をもって
「キリストを信じる者」とは、どういう者であるかを証ししましょう、と
教皇フランシスコは訴える。
「パミる」とは、つながることでもある。
PAMIを通して、すべての善意の人々とつながること。
おりしも、10月10日、ローマのカンピドリオの広場で開催された
諸宗教指導者たちの、平和のための祈りで
教皇フランシスコは力強く語った[一部試訳]:
愛する兄弟姉妹たち、
カルワリオの上で、偉大な決闘が行われました:
わたしたちを救うために来た神と、自分自身を救おうとする人間との間で;
神における信仰と、「わたし」を礼拝することとの間で;
非難する人間と、かばう(許す)神との間で。
そして、神の勝利が訪れ、神のいつくしみ(憐み)が世界に降りました。
十字架から、赦しがほとばしり、兄弟愛が再び生まれました。
「『十字架』はわたしたちを兄弟にする」(ベネディクト十六世、十字架の道行の最後の言葉:2008年3月21日)。
十字架上の、イエスの開かれた腕は、転換点(分岐点)を記しています。
神は誰かを指さす(非難する)のではなく、一人ひとりを抱きしめるからです。
愛だけが憎しみを消し去り、愛だけが不正を根こそぎ克服するからです。
愛だけが、他者のための場所を作り、
愛だけが、わたしたちの間の完全な交わりへの道だからです。
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簡単ではない。もちろん。
神の御子は十字架にまで至ったのだから。
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[バチカン放送日本語部門HPより]
「いかなる人民も、いかなる社会集団も、自分たちだけで平和や善、安全や幸福を得ることはできない」と教皇は述べ、現在のパンデミックが教えたのは「世界共同体は共に乗り合わせた一つの船であるという自覚」であり、「誰も一人では救われず、ただ皆が一緒でのみ救われる」ということ、と説かれた。
教皇は「兄弟愛はただ一つの人類という意識からわき出でる」ことを念頭に、皆が共にあってこそ救われるという認識を、出会いや和平、停戦や和解を通して育みながら、平和のための具体的な道のりを切り開いていこう、と呼びかけられた。
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アーメン!
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