Sr.ルカ:「教会の祈り」、「読書課」からの黙想
(『毎日の読書』、第1巻:待降節・降誕節、カトリック中央協議会参照)
…説明なしに、今朝、わたしが心に留め、思い巡らした言葉です…
12月18日
第一朗読:イザヤ書46・1-13
[聖書協会共同訳]
聞け、ヤコブの家よ
またイスラエルの家のすべての残りの者よ
母の胎を出た時から私に運ばれている者たちよ。
あなたがたが年老いるまで、私は神。
あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。
私が造った。私が担おう。
私が背負って、救い出そう。
(イザヤ46・3-4)
第二朗読:ディオグネトスへの手紙
神は子を通してご自分の愛を明らかにされた
[中央協議会訳]
人間のうちのだれ一人として、
神を見た人も、また神を知った人もおらず、
神だけがご自身を示してくださったのです。
信仰を通して神は御自身を示してくださいました。
信仰だけが神を見ることを得させるからです。
万物の主であり、作者である神、
万物を造り、一つひとつのものを秩序正しく配置された神は、
人類を愛する方であるばかりではなく、
忍耐強い方でもありました。
もっともこの神は、
かつてそうであり、今もそうであり、これからもそうであり、
つまりいつくしみ深く善良な方であり、
またお怒りにならない真実な方であって、
ただひとりよい方であります。
この神は言い尽くすことのできない偉大な意図を抱き、
それを御子だけにお伝えになりました。
[…]
わたしたちの不義が満たされ、
その報いとしてこらしめと死が降りかかってくることが
完全に明らかになったとき、
あわれみと力を現わそうと、前もって神がお決めになっていた時が
到来しました。
ああ、人類に対する神のいつくしみとその愛の豊かさよ。
神はわたしたちを憎んだり、見捨てたり、
復讐されたりはなさいませんでした。
むしろ長い間、忍耐強く忍び、我慢してくださいました。
わたしたちをあわれんで、
わたしたちの罪をご自分で負い、
その御子をわたしたちの贖いとしてお渡しになりました。
聖なる方を不法な者たちのために、
罪のない方を悪人たちのために、
正しい人を不正な人々のために、
朽ちることのない方を朽ちていく人々のために、
不死の方を死ぬべき者たちのために
贖いとしてお渡しになったのです。
その方の正しさ以外に、
わたしたちの罪を覆い隠すことのできるものが
ほかにあったでしょうか。
神の御ひとり子以外に、
罪深く不敬虔なわたしたちを
正しい者とすることのできる方が
他にいたでしょうか。
ああ、甘美な交換。
ああ、はかりがたきみ業。
ああ、すべての期待を越える賜物よ。
多くの人の不法が
正しい一人の人のうちに隠され、
一人の人の正しさが
多くの不法の者を義としたのです。
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