Sr.ルカ:わたしの物語(ストーリー)を、神のまなざしで見る

わたしの物語(歴史:ストーリー)を、

神のまなざしで見る、

神の救いの計画の中で見る、

一つの壮大な織物、モザイクの中で見る…


ユダヤ教伝統の中で、

創世記――「家族」の物語――を結び、

出エジプト記――「民」の物語――へと渡す

鍵となる出来事、「ヨセフのゆるし」は、

まさに、神のまなざしで自分の物語(ストーリー)を見る

「視点の転換」である。


わたしの視点で、わたしの物語(歴史)を見ることから、

神の視点で、すべての人の救いの計画の中で、

わたしの物語(歴史)を見ることへの、

時に深い痛みを伴う、しかし「解放」への「過越」、転換。


***

ヨセフの「完全なゆるし」を

神によって変えられることを許した人間、

自分の物語の中心に神を置く謙虚さと勇気をもった人間の中で

初めて可能になる

神の「偉大なわざ」として見る。


ユダヤ教伝統の文脈の中で、

それは、神と人間の「共同のわざ」である、と

言えるのだろう。


完全なゆるしは、神にのみ可能である。

しかし、神は、

人間に、ご自分の「自由」を分け与えたときから、

人間の同意なしには何も行うことを望まない。


神のゆるしが、

わたしたちの物語(歴史)の中で輝き出るのは、

わたしたちの視点の転換、過越の中である。


***

わたしたちの罪が頂点に達したとき、

神はご自分の愛と力を明らかにした(啓示した)と、

「ディオグネトスへの手紙」は言う。

(12月18日「読書課」第二朗読参照)


神のわざは、

わたしたちの期待、思いをはるかに超える。


今朝の独り言でした。


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