使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](8)

4.受け入れることにおける父


 

ヨセフはマリアを、何の条件(予防策)もなく受け入れます。ヨセフは、天使の言葉に信頼します。「彼の心の高貴さは、律法を通して学んだことを、愛のわざに従属させます(愛のわざの下に置きます)。女性に対する心理的暴力、言語や身体的な暴力が明らかになっている今日の世界において、ヨセフは、すべての情報をもっていなくても、マリアの名誉、尊厳、いのちのために決心する、他者を尊重する、繊細な人として現れます。そして、よりよく行動するにはどうしたらいいのか迷っていた彼を、神は、彼の判断を照らしながら、選択することを助けました」 。[17]


 ひじょうにしばしば、わたしたちの人生において、意味を理解することが出来ない出来事が起こります。わたしたちの最初の反応は、しばしば、失望や反抗です。ヨセフは、起こっていることに場所を空けるために(受け入れるために)、自分の推論をわきに置き、彼の目にそれがどんなに神秘的に見えても、それを受け入れ、その責任を担い、自分自身を自分の物語(歴史:ストーリー)と和解させます。もしわたしたちが、わたしたちの物語と和解しないなら、次の一歩を踏み出すことも出来ないでしょう。わたしたちはつねに、期待と、その結果としての失望に縛られたままだからです。

 

 ヨセフがわたしたちに示す霊的生活は、説明する道ではなく、受け入れる道です。この受容(受け入れること)から、この和解から出発して初めて、人はさらに大きな物語(ストーリー)、さらに深い意味を直観することが出来るのです。ヨブの烈しい言葉が反響しているように思われます。ヨブは、彼に起こったすべての悪に対して反抗するよう招く妻に、答えます:「わたしたちは神の手から善いものを受けるのだから、悪いものも受けるべきではないか」(ヨブ2・10)。


 ヨセフは、受身的にあきらめる(甘受する)人ではありません。彼は勇敢で強い主人公です。受容は、それを通して、わたしたちの人生の中で、聖霊から来る剛毅(強さ)の賜物が現れる方法です。主だけが、人生をありのままに受け入れ、存在の矛盾した、予期しない、期待外れの部分にも空間を差し出す力を与えてくださるのです。

[17] Omelia nella S. Messa con Beatificazioni, Villavicencio – Colombia (8 settembre 2017): AAS 109 (2017), 1061.

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