使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](14)

7.影にいる父


 ポーランドの作家、Jan Dobraczyńskiは、『父の影』 [23]という本の中で、聖ヨセフの生涯を小説の形で語っています。彼は「影」という示唆的なイメージを使って、イエスとの関係において、天の御父の地上での影であるヨセフの姿を表現しています:ヨセフは、イエスを見守り、擁護し、その歩みに従うためにイエスから決して離れません。モーセがイスラエルに思い起こさせたことを考えてみましょう:「荒れ野では、この場所に来るまで、あなたがたが歩んだすべての道のりを、人がその子を背負うように、あなたの神、主があなたを背負ってくださったのを、あなたは見た」(申1・31)。このようにヨセフは生涯にわたって、父性を行使しました 。[24]


 人は初めから父親なのではなく、父親になるのです。そして、世に子を生んだだけで父親になるのではなく、責任をもって子を世話するから父親になるのです。人は、他者のいのちの責任を負うたびに、ある意味で、その人に対して父性を行使するのです。


 わたしたちの時代の社会において、しばしば、子どもたちは父親不在のように見えます。今日、教会にも、父親たちが必要です。聖パウロがコリントの人々に向けた戒めは、つねに今日的です:「たとえ、キリストを信じることであなた方に一万人の養育係がいたとしても、父親が大勢いるわけではありません」(一コリ4・15)。そして、一人ひとりの司祭、または司教は、使徒パウロのように付け加えねばなりません:「わたしこそキリスト・イエスにおいて、福音をもってあなた方を子としてもうけたのです」(同)。パウロはまた、ガラテヤの人々に言います:「わたしの子らよ、キリストがあなた方のうちに形づくられるまで、再び、わたしは産みの苦しみを味わっているのです」(ガラ4・19)。

[23]Edizione originale: Cień Ojca, Warszawa 1977.

[24]Cfr S. Giovanni Paolo II, Esort. ap. Redemptoris custos, 『救い主の守護者聖ヨセフ』7-8: AAS 82 (1990), 12-16

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