使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](16)

 子どもの人生を生きようとする誘惑を放棄した父性は、つねに前代未聞の空間を開きます。一人ひとりの子どもは、つねに神秘、前代未聞のものを運んでいて、それは、その子の自由を尊重する父親の助けをもって初めて明らかにされます。自分が「役立たず」になり、子が自立し、人生の道を一人で歩むのを見、ヨセフの状況の中に自らを置くとき初めて、父親は自分の教育的行為をなし遂げ、父性を完全に生きるのです。ヨセフはつねに、この「幼子」が自分の子ではなく、単に彼の世話に託された子であることを知っていました。本質的に、それがイエスの言おうとしたことです:「誰であれ、地上の者を『父』と呼んではならない。あなた方の父はただひとり、天におられる方だけである」(マタ23・9)。


 わたしたちが、父性を行使している状態にあるときはいつでも、それが決して所有の行使ではなく、より高い父性を指し示す「しるし」であることを思い起こさなければなりません。ある意味で、わたしたちはみな、つねにヨセフの状態にあります:「悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださる」(マタ5・45)唯一の天の父の影であり、御子に従う影なのです。

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