年間週日(奇数年)「ヘブライ人への手紙」に親しむ 年間第二月曜日(Albert Vanhoye枢機卿)

Albert Vanhoye, Il pane quotidiano della Parola. Volume secondo – Tempo ordinario/1, Edizione AdP (Ascolto della Parola) 2015.


*年間第二月曜日

(ヘブ5・1-10。マコ2・18-22)


ヘブライ人への手紙は

イエスの祈りにおける「戦い」について語っています。


Albert Vanhoye枢機卿は

神の御子である方が、受難の前に、

ご自分の存在を

神への「いけにえ(sacrificio)」とするために

祈りの中で「戦った」ことを強調します。


イエスはこのようにして、

悲劇的な状況を「神への献げ物」に変えた、と。


だから私たちもまた、私たち自身の存在が

神への相応しい「献げ物」となるために

戦わなければならない、と

Vanhoye師は思い起こしています。


[以下、試訳]

***

今日の福音は、キリスト教の新しさ、

イエスに結びついた生き方の新しさを宣言しています。

この新しさを発足させたのはイエスご自身です。

私たちがヘブライ人への手紙の中で読むように、

神に、もはや型通りの(慣例の)ものではなく、

自分の存在そのものを献げながら。


***

福音は、洗礼者ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々が

断食をしていることを語ります。

彼らは、神を敬うために規定された贖罪など、

外面的なことを気にかけ、

それらが最も重要なことだと考えています。


それに反して、

イエスにとって最も重要なことは、

ご自分の存在そのものであり、

儀式や痛悔のような

それに付け加えられたものではありません。


***

ヘブライ人への手紙は言っています。

イエスは祭司であり、

慣例のいけにえ(「供え物やいけにえ」)ではなく、

ご自身のいのちを献げます。

「[イエスは]人として生きておられたとき、

深く嘆き、涙を流しながら、

祈りと願いを献げ[ました]」。


イエスは、ご自分の受難の中で、

ご自分が経験している悲劇的な状況を

神への献げ物に変えました。


***

この「変容(trasformazione)」は

真剣な祈りを要求します。

それは単なる心の意図をもってではなく、

戦いの中で実現されます。

ゲッセマネでのイエスの苦悩を思い起こす

ヘブライ人への手紙の箇所が示しているように。


イエスは人生の困難に対して戦いました。

受難に立ち向かう前に戦いました。

このことすべてが、

神にふさわしい、神の霊に満ちた供え物となるよう、

祈りの中で戦いました。


***

イエスは、私たちからも、

贖罪や苦行の勤めなどの

生活に付け加えられたものではなく、

私たちの存在そのものを「いけにえ」に変えることを

望んでいます。


もちろん、生活を変えるのを助ける贖罪は有効です。

しかし、すべてのものの中でより重要なのは、

パウロがローマの信徒への手紙の中で言っているように、

私たちの存在を神への「いけにえ」として献げることです

(ロマ12・1-2参照)。


***

私たちがミサ聖祭にあずかるとき、

この要請を思い起こすべきです。

私たちの生活を

イエスの「いけにえ」と勝利への一致の中に

神に献げることを思い起こすべきです。


私たちは、私たちの具体的な生活を

―その喜び、困難、誘惑、望み、希望すべてとともに―

献げなければなりません。


これが、神が喜ぶ献げ物です:

イエスの霊ご自身が私たちの中で成し遂げる

―もし私たちがそのわざに従順であるなら―、

私たちの生活の変容。


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