年間週日(奇数年)「ヘブライ人への手紙」に親しむ 年間第二金曜日(Albert Vanhoye枢機卿)
Albert Vanhoye, Il pane quotidiano della Parola. Volume secondo – Tempo ordinario/1, Edizione AdP (Ascolto della Parola) 2015.
*年間第二金曜日
(ヘブ8・6-13、マコ3・13-19)
[試訳]
今日、ヘブライ人への手紙は
「新しい契約」についての
エレミヤ書のひじょうに美しい箇所を引用しています。
この表現は、旧約聖書全体の中でこの箇所にだけ見出され、
大きな変化を告げるものです:
「主は言われる。
それは[…]、彼らの先祖たちと結んだ契約のようなものではない」。
***
最初の契約は人間の外側に留まる契約でした。
神は「律法」を与え、
契約の条件は、その律法を忠実に守ることでした。
しかし、律法は外側に留まるものだったので、
多くの人にとってむしろ妨げとなりました。
実際、ある法律が私たちに義務付けられるとき、
私たちの最初の反応は、それをはねつけることです。
その法律の中に耐えがたい束縛を見るからです。
実際、ある法律が私たちに義務付けられるとき、
私たちの最初の反応は、それをはねつけることです。
その法律の中に耐えがたい束縛を見るからです。
***
すべてが破壊されたかのように思われた時、
神はすべてのものを新しく、
前のものよりも、より美しく創造します。
神はこのように今、行い、
預言者を通して言います、
「私の律法を彼らの思いに授け、彼らの心に書き記す」。
それは、人々が
心の奥底から神と同意するということです。
人々は神のみ旨を愛し、そのみ旨を果たそうと望み、
むしろ神のみ旨そのもの、
神の望みそのものを持つだろうということです。
***
そして神は言います、
「彼らは、自分の同胞や兄弟の間で
『主を知れ』と言って教え合うことはない。
小さな者から大きな者に至るまで
彼らは皆、私を知るからである」。
彼らは神についての、
個人的、緊密な知識をもつでしょう。
それは教育の実りではなく、
心の中に刻み付けられた知識です。
***
この新しい契約は、
イエスがご自身のいけにえをもって制定した契約です。
その契約の中で、イエスご自身が、
普遍的な愛(愛のわざcarità)において
私たちの律法となりました。
私たちはそれを、すべてのミサ聖祭の中で言います:
「これは、新しい永遠の契約のための、私の血である」。
この文の中には、
福音の中にはありませんが、預言者たちの中に存在する
「永遠の」という形容詞があります。
この形容詞は、ここで正当に使われます。
イエスによって締結された契約は
最終的、完全な契約であり、
私たちを決定的に、神と結びつけ、
また私たちの間で結びつけるからです。
それは、一致の土台であり源泉です。
***
今日の福音の中で、
私たちは、一致のもう一つの条件を見出します。
十二使徒の選びです。
それは、一致における多様性を表現する制定、
神と結ばれるために、そこに参入すべき制度です。
教会の中のすべての分裂は、信仰の欠如であり、
イエスによって定められた権威への参入の欠如です。
私たちが真に一致の中で生きることを望むなら、
教会の中で権威を行使する人への
特別な愛をもたなければなりません。
彼らは弱い人間、欠点や不完全さをもった人間です。
しかしイエスによって、一致を保つために制定されました。
ですから私たちは彼らを愛と理解で包むべきです。
***
主に願いましょう。
私たちのため、すべての人のために、
主と結ばれ、主の愛のうちに生きる恵みを。
主が私たちの心に刻んだ掟を守り、
主が制定した権威に、信頼をもって参入しながら。
すべての人が唯一の体を形造ることが出来るように。
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