Sr.ルカの独り言:ルーマニアを思い出して…(2021年3月1日)

ルーマニアの友人、Ionut Bildar神父さまが

今年初めの、私のルーマニア出張(2020年2月18日~27日)の思い出を

写真と言葉で表現し、彼のFBでUPしてくださいました。


Ionut神父さまは、教皇庁立国際マリアン・アカデミー(PAMI)の協働者、

ビザンティン典礼のマリア論エキュメニカル・センター

(主に、東方正教会とカトリック教会の対話)を立ち上げる準備をしています。


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ルーマニアを訪れたときから、そこが「記憶の地」であることを、私はずっと感じてきました。

殉教者の記憶、死者の記憶、生きている家族、友人、恩人の記憶…を

人々はとても大切にします。


当たり前、と言われるかもしれません。でも、考えてみてください。

私は、一度だけ、10日間、彼らの地を訪れたにすぎません。

今まで、いろいろな国の人々に会ってきました。

その中には、今でも年に一回、クリスマスの挨拶を交わしている人々もいます。


けれど、ルーマニアで出会った人たちほど、

ずっと一貫して私のことを思い起こし、

押し付けではなく、やさしい友情で包んでくださる人たちには

あまり会ったことがありません。

しかも、一回だけ会った神父さま、シスター、Ionut神父さまの友人たちまで。


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ルーマニアの東方正教会の入り口には、必ず(たぶん)、

「死者のため」と「生きている人々のため」にろうそくを捧げる場所があり、

いつでも多くのろうそくがともっていました。


また、典礼の中で死者を特別に思い起こす日が、頻繁にあり

私もたまたまその日に教会を訪れたことがあります。


教会堂の中央に長い机が置かれていて、

信徒たちが持ってくる、死者を記念する花、パン、お菓子でいっぱいになっています。

ミサの後に司祭がそれを祝福し、人々はそれを、墓地や家に持って帰り死者を思い起こす、

とIonut神父が説明してくれました。


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東方正教会の神学者シュメーマン師は、

東方正教会が死者を特別に記念するのは、

何よりもまず、キリストの体である教会(私たち)の神秘、

聖人たちの交わりの神秘の理解に土台を置いている、と説明しています。


ここで「聖人」というのは、

洗礼において、キリストによってあがなわれ聖とされた人々、

つまり洗礼を受けたすべてのキリスト者のことです。


天の教会と地上の教会の交わりは、キリストの内に真に「生きている」人々の交わりです。

シュメーマン師は書いています。


キリストの内に、生きている者と死んだ者の間の違いはありません。

すべての人が、キリストの内に生きているからです。

キリストは「いのち」であり、この「いのち」は人間の光です。

キリストを愛しながら、私たちはキリストの内にいるすべての人を愛します。

そして、キリストの内にいるすべての人を愛しながら、私たちはキリストを愛します。

これが、教会の法、死者のための祈りの土台です。

彼らをいのちの中に保つのは、真に、キリストにおける私たちの愛です。

なぜならそれは彼らを「キリストの内に」保つからです。


再びルーマニアの地を訪れる日が来ることを願いながら

(コロナ・パンデミックの影響で、すでに二回、延期されています)

ルーマニアの地で、平和と和解の文化を共に築いていこうとしている

Ionut神父さまと協力者の皆さまの上に、神さまの豊かな祝福を祈りつつ。

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