教皇フランシスコの、聖金曜日の「十字架の道行」
AGESCIのスカウト・グループ「Foglino I」と、
ローマの、ウガンダの聖殉教者小教区によって提案された黙想と祈り
*AGESI:The Associazione Guide e Scouts Cattolici Italiani
『オッセルバトーレ・ロマーノ』紙(2021年3月31日)より一部試訳
2021年、聖金曜日の「十字架の道行」のための黙想の中には、
小さな子供たちや罪のない人々のたくさんの十字架がある。
彼らのことを教皇フランシスコは、「聖なる過越の三日間」について語った一般謁見(2021年3月31日)の中で、私たちの時代の「ほふられた小羊たち」と言った。
実際、4月2日の晩、展開される苦しみの歩みにおいて、教皇に同伴するのは、3歳から19歳までの子供たちや若者たちだ。今年もまたパンデミックの影響で、伝統的なコロセウムではなく聖ペトロ広場で行われる。
彼らの中の何人かの黙想や絵は、21時に始まる示唆に富む儀式の14の留に区分される。
ゴルゴダでの十字架刑に向かうイエスの道のりの黙想は、
ウンブリア州のAGESCIのスカウト・グループ「フォリーニョ1」と、
ローマの「ウガンダの聖殉教者」小教区によって解釈され、追体験された。
十字架の道行の絵は、ローマの養護施設、「Mater Divini Amoris」(神の愛の御母)のファミリーホームと、「Il Tetto Casal Fattoria」の子供たちによるものだ。
[導入部分と、第一留の黙想の試訳を紹介します]
導入
父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。
愛するイエス、
あなたは、私たち子供も十字架を持っていることを知っています。その十字架は、大人たちの十字架よりも軽くも重くもありません。でもそれは、私たちが夜でも重いと感じる、本物の本当の十字架です。あなただけがそれを知り、真剣に受け止めてくれます。あなただけが。
あなただけが知っています。
私にとって、暗闇や孤独を恐れないことを学ぶのがどれほど難しいか。
あなただけが知っています。
自分を抑えられず、毎朝ずぶ濡れで目覚めることがどれほど辛いか。
あなただけが知っています。
他の人と同じように話すことができず、同じように速く考えることができず、正しい計算ができないことがどれほど辛いか。
あなただけが知っています。
両親が喧嘩をしてドアを強く叩き、何日も口をきかないのを見るのがどれほど辛いか。
あなただけが知っています。
周りの人にからかわれたり、パーティーから除外されたことに気づくのがどれほど辛いか。
あなただけが知っています。
貧しくて、友達が持っているものを断念しなければならないことが、どういう意味であるか。
あなただけが知っています。
自分を深く傷つけている秘密から自分を解放することが、どれほど難しいか。裏切られたり、非難されたり、信じてもらえないことを恐れて、誰に話したらいいのかわからないから。
愛するイエスさま、あなたは私と同じ子供でした。
あなたもまた遊びました。もしかしたら転んでけがをしたかもしれません。
あなたもまた学校に行き、もしかしたら宿題がうまくいかないこともあったかもしれません。
あなたにもまたお母さんとお父さんがいて、宿題をしなさい、ごみを捨てなさい、ベッドをきちんとしなさい、部屋を片付けなさいと言われても、従う気になれないときがあるのを知っています。
あなたもまたカテキズムと祈りに言って、私がいつもそこに喜んで行くわけではないことを知っています。
愛するイエスさま、あなたは何よりもまず知っています。
世界には、食べるものがなく、教育も受けられず、搾取され、戦争に行かざるを得ない子どもたちがいることを。
あなたが、あなたの十字架を背負ったように、
私たちも、毎日、私たちの十字架を背負うことが出来るように、私たちを助けてください。
私たちがますます良い子どもになれるように。あなたが望むようになれるように、私たちを助けてください。
あなたがいつも私の近くにいて、私を決して見捨てないこと、
特に、私が最も恐れているとき、決して私を見捨てないことを知っているので、
あなたに感謝します。
あなたは、私に、私を毎日守り、照らしてくれる守護の天使を送ってくださったから、
あなたに感謝します。
アーメン。
***
第一留
ポンティオ・ピラトはイエスに死刑を宣告する
(ルカ23・20-21,24-25)
黙想
僕が小学校一年のとき、同じクラスのマルコが、同級生の机からおやつを盗んだと咎められたことがありました。僕はそれが本当ではないことを知っていたけれど、黙っていました。僕の問題ではないし、みんながマルコを犯人だと言っていました。何で僕が介入しなければならないのか、と。
今でもそれを思い出すたびに、自分のあの行動が恥ずかしくて、痛みを感じます。この友達を助け、真実を話し、正義を実現することが出来たのに、僕はピラトのように振る舞い、何もなかったかのようにしていることを好みました。僕はより安易な道を選び、自分の手を洗いました。今日、僕はとても後悔しています。少し勇気を出して、自分の心に従って、困難の中にいる友達を助けてあげたかったから。
時に僕たちは、悪を行う人、悪を望む人の声しか聞かないことがあります。一方、正義は、障害や困難を伴う上り坂の道です。でも、僕たちの傍らにはイエスさまがいて、いつも僕たちを支え、助けてくれます。
子供たちの祈り
イエスさま、私に単純で誠実な心をください。困難の中にあっても、あなたの正義の中に歩む勇気と力をもつことが出来るように。「たとえ死の陰を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられる」(詩23・4)。
祈りましょう
いつくしみ深い父よ、
私たちの中にあなたの聖霊を注ぎ、
あなたの力を与えてください。
このようにして初めて、私たちは、
正義と和解の道であるあなたの真理を証しする
勇気をもつことが出来るからです。
私たちの主キリストによって。
アーメン。
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2021.04.05 22:14