教皇フランシスコ、広報省訪問 現実の平手打ち
Andrea Monda 氏(『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』編集長)
(2001年5月24日付『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』)
「現実から平手打ちされるに任せてください(Lasciatevi schiaffare dalla realtà)」。教皇フランシスコは、バチカンの広報省本部があるPalazzo Pioへの訪問で、本誌編集部にこう語りかけた。
それは強い感情と、忘れられない瞬間に満ちた朝だった。特に強烈だったのは、教皇が新聞社の会議室に立ち寄り、毎朝、この新聞が編集部員によって構成される様子を見たときだった。「私たちは朝の9時頃に集まって、どのニュースを載せるかを決めます」と、編集長のPiero Di Domenicantonioが説明した。「いつでも設定を変える準備が出来ています。なぜなら現実はいつも私たちを驚かせるからです」。
「この事実はとても素晴らしい」と教皇は述べた。「一方で私たちの考え(概念)があり、他方で、より強く、より大きな現実があります」。そして付け加えた。「現実に平手打ちされるに任せてください」。顔に直撃する平手打ちの場面をジェスチャーで真似ながら。
カトリック作家であるFlannery O’Connorは、良い本とは、読者の顔に平手打ちを与えながら、顔の角度をいくらか回転させ、世界を別の視点から見直させるものだ、と言っていた。これは良い新聞にも当てはまる。
私たちの頭の中の計画をひっくり返す現実から、平手打ちを受け、私たちは、優れたジャーナリストとして、今度は読者に平手打ちを与えなければならない。つねに私たちを驚かせる現実についての、新しく、新鮮で、普通ではない見方をさせながら。
これは、シニズム(皮肉)になってしまうような「当たり前のこと」から私たちを解放するだろう。教皇フランシスコの、バチカン・メディアの編集部の部屋や廊下の訪問自身が、この新鮮な風の香りをもった。それは、聖霊降臨の「激しい風」と似ていて、肌を刺し、日々の仕事をする人にとって、つねに最も深刻な危険である慣習の麻痺(無気力)を、私たちから取り除く(教皇フランシスコは、Sala Marconiの訪問の最後に「機能主義は死を招く(致命的だ)」と言った)。それは、教会のミッション(使命)への奉仕である私たちのコミュニケーションへの召命の力を消す危険である。
教皇さま、ここに、私たちの近く、私たちのただ中にいてくださり、このようにして私たちを目覚めさせ、父のように、あなたの存在の新鮮な風をもって私たちを危機に陥らせてくださったことに感謝します。
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