教皇フランシスコ お告げの祈り(2022年7月3日:第14主日)

(ルカ10・1-12,17-20)

[試訳]

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愛する兄弟姉妹の皆さん、こんにちは!


今日の福音の中で私たちは、「主は別に七十人[の弟子]を指名し、ご自分が行こうとしておられるすべての町や村に、二人ずつ先にお遣わしになった」(ルカ10・1)と聞きました。


弟子たちは、個別ではなく、二人ずつ派遣されます。


宣教に、二人ずつ行くことは、現実的には、

利益(メリット)よりも不利益(デメリット)を含んでいるように思われます。


二人の意見が合わなかったり、ペースが違ったり、

また、途中で一人が疲れたり病気になったりしたら、

もう一人も止まらざるを得なくなる、という危険があります。

それに反して、一人なら、旅はより早く、障害物無しのものになると思われます。


しかしイエスは、そのようには考えません。

ご自分より先に、単独ではなく、二人ずつ行く弟子たちを遣わします。


けれど、自問してみましょう:この、主の選択の理由は何でしょうか。


***

弟子たちの務めは、先に村々に行って、人々がイエスを受け入れる準備をすることです。

イエスが彼らに与えた指示は、

彼らが何を言うべきかではなく、どうあるべきかについてです。

つまり、彼らが言うべき「台本」ではありません。違います。

生き方(生活)の証しです。言うべき言葉よりも、与えるべき証しについてです。


実際、イエスは彼らを「働く人(operai)」と呼んでいます。

つまり、彼らは「働く」よう、

彼らの行動(振る舞い)を通して福音を告げ知らせるよう招かれています。


そして、弟子たちがその使命を果たすための、最初の具体的な行動は、

まさに二人ずつ行くことです。

弟子たちは「フリーランサー」でも、

相手に話を譲ることを知らない説教師でもありません。


福音を宣べ伝えるのは、何よりも先ず、弟子たちの生き方(生活)そのものです。

共にいる方法を知っていること、互いに尊敬し合い、

相手より自分の方が能力があると示そうとせず、

一致して、唯一の「先生」を基準とすること。


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完璧な司牧計画を立て、綿密なプロジェクトを実行し、

細部に至るまで組織することは出来ます。

多くの人を集め、多くの手段を持つことは出来ます。

けれどもし、兄弟愛(fraternità)への心構えがなければ、福音的使命は前に進みません。


ある宣教師が、アフリカに行ったときのことを話してくれました。

彼は、もう一人の兄弟と一緒に行きましたが、

数か月後、その兄弟と別れ、ある村に留まり、

そこで共同体のためになる一連の建築活動を、成功をもって実現しました。


すべてがうまく行っていました。

しかし、ある日、彼は衝撃を受けました。

自分の生き方は、いつも工事現場や計算書のただ中にいる、

優秀な企業家のようだと気付いたのです。

しかし…そして、その「しかし」が残りました。


その時、彼は、経営を他の人々、信徒たちに任せ、彼の兄弟のところに行きました。

このようにして、主がなぜ弟子たちを「二人ずつ」遣わしたのかを理解したのです。

福音的使命は、個人的な行動主義、つまり「すること」に基づくのではなく、

共に生きることがもたらす困難を通してであっても、

兄弟愛の証しに基づくということを。


***

ですから、自問してみましょう。

私たちは、福音の善い知らせを、人々にどのように運んでいるでしょうか。

兄弟愛の精神とスタイルをもってでしょうか。

それとも、この世のやり方で、自己中心主義、競争心、能率主義をもってでしょうか。


私たちは、協力することが出来るでしょうか、

周りにいる人を誠実に尊敬し、その人の視点を考慮しながら、

一緒に決定する方法を知っているでしょうか。

それを、一人ではなく共同体で行っているでしょうか。


実際、特にこのようにして、

弟子の生き方は、「先生」の生き方を現すのです。

先生を、真に、人々に知らせながら。


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教会の母であるおとめマリアが、

兄弟愛の証しをもって、主の道を準備することを教えてくださいますように。

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