使徒的書簡「パトリス・コルデ」[試訳](5)
悪魔はわたしたちに、否定的な判断でわたしたちの弱さを見させますが、聖霊はやさしさをもってそれを明るみに出します。わたしたちの中にある弱さに触れるための最上の方法は、やさしさです。わたしたちが他の人々に対して使う、指をさすことや裁くことは、しばしば、わたしたち自身の弱さ、脆さを、わたしたちの中に受け入れることが出来ないことの表われです。わたしたちを「告発者」のわざから(黙12・10参照)救うのは、やさしさだけです。そのため、真実とやさしさの経験をしながら、特に「赦しの秘跡」において、「神のいつくしみ」に出会うことが大切です。逆説的に、悪魔もまた、わたしたちに真実を言うことが出来ます。けれど、わたしたちを非難するためにそれをします。しかしわたしたちは知っています:神から来る「真実」は、わたしたちを非難するのではなく、わたしたちを受け入れ、抱きしめ、支え、赦すことを。「真実」はいつも、たとえ話のいつくしみ深い「父」のように自らを示します(ルカ15・11-32参照):わたしたちに会いに来て、わたしたちに再び尊厳を与え、わたしたちを立ち直らせ、わたしたちのために祝宴を開いてくれます。「この子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」(24節)、と。
ヨセフの困窮を通しても、神のみ心、神の物語、神の計画が示されます。ヨセフはこのようにしてわたしたちに、神を信じることは、神が、わたしたちの恐れ、脆さ、弱さを通しても働くことができると信じることも含まれていると教えます。そしてわたしたちに、人生の嵐のただ中で、神に、わたしたちの船の舵を委ねることを恐れてはならないと教えます。時にわたしたちは、すべてをコントロールしようとします。けれど神はつねに、より大きなまなざしをもっているのです。
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