Sr.ルカの独り言:世界広報の日メッセージから(2021年1月27日)

*「世界広報の日のメッセージ」試訳参照→こちら


教皇フランシスコの

2021年世界広報の日のメッセージを聞いていて

恩師サルバトーレ・ペレッラ師の訓戒を思い起こしました。


自分の「守備範囲」で

「もうすでに知っていること」「人から聞いたこと」をネタに

安易に情報を発信したり、論文を書いたりしないこと、

自分の既存の知識から「出て行き」

骨を折って資料を探し、他の資料と照らし合わせ、

読み、考え、読み返し、さらに深く考えること…


教皇は「来て、見る(vieni e vedi)」ことの大切さを

世界広報の日のメッセージに限らず

ひじょうにしばしば強調しています。


それはすでに使徒的勧告『福音の喜び』(2013)の第一章、

「出向いて行く教会」という言葉の中で顕著です。

その目的は「宣伝」「勧誘」ではなく

「真のいのち、永遠のいのち」であるイエス・キリストご自身を

運ぶためです。


「出向いて行きましょう。

すべての人にイエスのいのちを差し出すために

出向いて行きましょう」(49項)。


***

教皇は、特に、誰も行きたがらないところ、

誰も興味をもたないところに行って

人々と出会い、声を聞き、それを発信してくださいと招きます。


***

私は、月一回の「マリア論オンライン講座」のための資料を

一週間前には準備するようにしています。

けれど(ひじょうにしばしば)

ぎりぎりになって追加、変更があります。

それは、その時々の教会の動き、社会の動き、

教皇メッセージ、教会の伝統の声に促され、

すでに準備していた内容がさらに豊かにされるからです。


また、今まで私の思考の中にたまっていたものが、

信仰の先輩たちの声、

またひじょうにしばしば「教会の外」の声によって

「繋がる」ことがあります。


それは、準備していた原稿を

異なる視点で見ることを可能にしてくれます。


すでに送った講座資料で丁寧に準備してくださっている

講座参加の方々には申し訳ないと思いながらも

内なる動きに駆り立てられて変更することしばしば。


何か言い訳がましくなりましたが、

これが私にとって

「守備範囲から絶えず出て行く」動きとも言えます。


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