年間第五金曜日(Albert Vanhoye枢機卿)

(創3・1-8;詩32;マコ7・31-37)


あらゆる誘惑は、何よりもまず、神の悪いイメージです。

誘惑者、蛇は、最初の人間たちに神の偽りのイメージを示し、

それを巧みに示唆します:

神は嫉妬深い、神は自由の敵だ、神は知識の敵だ、と。


***

蛇は、神の命令をあいまいな方法で示すことから始めます:

「神は本当に、園のどの木からも取って食べてはいけないと言ったのか」。


このように、すでに、神が

人間の最高の善を制限しているとほのめかします。


女は蛇のこの断言を正します。

彼らは、園の中央にある木の実以外は、どの木の実を食べてもいい。

園の中央にある木の実を食べたら、死んでしまう。


神が制定したこの掟は、

人間はすべてのものにおいて自由を行使することが出来るが、

その存在自身、根本的に自分には属していないことを意味します。

人間の中心は、つねに神です。


***

誘惑者は反論します:

「いや、決して死ぬことはない。

それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、

神は知っているのだ」。


ですから、蛇にとって、神は嫉妬深く、

人間がご自分に似た者になることを望まない。


実際は反対です。

神は人間をご自分のイメージに造り、

可能な限りご自分に似た者になることを望み、

そのような類似を妨げるあらゆる障害物から

人間を擁護します。


***

私たちも、神の偽りのイメージを作る誘惑に

駆られることがあります。


私たちが神の意図を疑い、

私たちの善を望まない、嫉妬深い神を考え始めるとき、

私たちはすでに、

すべての誘惑―それらはつねに利己主義の誘惑です―に

負けやすくなります:

私たちをすべてのものの中心に置く誘惑、

真の善を求める代わりに、私たちの利益を求める誘惑。


創世記のテキストは言います:

「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、

また、賢くなるというその木は好ましく思われた」。


女はこのようにして、

自分の好み、自分の利益の誘惑に負けました。


***

今日の福音は、それに反して、

神の真のイメージを私たちに与えます:

神は善い方であり、人間が成長し自分を開くのを妨げないどころか、

神ご自身が、人間が開くようにします。


今日の朗読のキーワードは、実際、「開く」です。


誘惑者によると、神は、男と女の眼が「開く」のを恐れます。

それに反してイエスは、耳が聞こえず口の利けない人の耳を「開き」、

舌のもつれを解きます、彼に「エッファタ!開け!」と言いながら。


***

この言葉は、私たちにも発せられました。

私たちの洗礼の日に。


神は私たちを、

耳の聞こえない状態、口の利けない状態から解放し、

私たちが十全に成長し、

神とのコミュニケーション(対話)、

兄弟たちとのコミュニケーションの中に入ることを望みます。


福音の宣言のとき、私たちは言います:

「主よ、私たちの心を開いてください、

そうすれば私たちは、

あなたの御子のみ言葉を受け入れることが出来ます。


まさにこれが神の望みです:「開け!」


***

私たちにとって、主のこの言葉を聞くことは大きな喜びです。

私たちの召命は、私たち自身を開く召命です:

世界に開くこと、

「愛であり」(一ヨハ4・8)、

「光であり、その中には闇が全くない」(一ヨハ1・5)方である神の、

真の知識に開くこと。

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