教皇フランシスコ、広報省訪問 「オッセルバトーレ・ロマーノ紙」160周年、「バチカン放送局」90周年記念に (Palazzo Pio、2021年5月24日)[試訳]

✤バチカン・ラジオ放送、9チャンネルからの生放送


あなた方の仕事、あなた方がしているすべてのことに感謝します。


私の心配は一つだけです。(バチカン)ラジオや『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』について心配する理由はたくさんあります。けれど、一つの心配が私の心に深く触れます:どのくらいの人がラジオを聞いているのか、どのくらいの人が『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』を読んでいるのか、ということです。なぜなら、私たちの仕事は、人々に届くことだからです:ここの、すばらしく、偉大で、労苦を伴う仕事が、 人々に届くこと、翻訳を通して、あなたが言ったように短波を通しても…。


あなた方がしなければならない問いかけは:「どのくらいの人に届いているか」ということです。なぜなら、すべての組織には危険性があるあるからです。すばらしい組織、すばらしい仕事、しかし届くべきところに、届かないという危険性。それは、ねずみの出産の物語に似ています:大きな山が、小さなねずみを生む物語。


毎日、この問いかけをしてください:どれくらいの人に届いただろうか。『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』を通して、どのくらいの人に、イエスのメッセージが届いただろうか。これは、とても重要です。とても重要です!


✤Sala Marconiの編集室での話


あなた方の仕事に感謝します。皆さんがここに一緒にいるのを見て、うれしく思います。私はこの建物がよく組織化されているのを見て、感心しました。仕事の統一性。問題は、このように大きく複雑な組織(システム)が機能することです。


私は、アルゼンチンでの習慣を思い出します。誰かが重要な任務に任命されると、最初にすることは、環境を整えるための会社であるNordiskaに行き、自分のデスク、仕事場を見もせずに、人を遣わして、すべてを新しく、完全に、美しくさせます。これが、あの大臣、この役人が最初に下す決断です。それは機能しません。重要なのは、この美しさ全体が、この組織全体が機能することです。



機能するとは、前に進むこと、歩むことです。


よく機能することに反する大敵は、機能主義です。例えば、私はある部門の長であり秘書です。私には七人の次官がいます。すべてうまく行っています。誰かが問題を抱えたら、その人は、それを解決しなければならない次官のところに行きます。その次官は言います。「ちょっと待ってください。あとで答えます」。そして電話を取り、秘書を呼びます…。


つまり、これらの次官は役に立たないのです。決めることが出来ない、自分の決断をすることが出来ない。機能主義は致命的(命取り)です。組織を眠らせ、殺してしまいます。これに陥らないように注意してください。


どのくらい役職があるかとか、この仕事場が美しいかそうでないかは、重要ではありません。重要なのは「機能すること」です。「機能的である」ことです。機能主義の犠牲ではなく。これによく注意してください。警戒してください。


何かが機能的であれば、それは創造性を助けます。あなた方の仕事は、つねに創造的であるべきです。つねに、先に、先に、先に…行くべきです。創造的であること。これが「機能する」という意味です。


けれど、ある仕事があまりにもよく組織されていると、最後には檻の中に入ってしまい、役に立たなくなります。このことだけが、このようにすばらしく、よく組織された組織を見ながら、また、あなた方が一緒に働いるのを見ながら、私の頭に浮かんだことです。警戒してください!機能主義がないように。


もちろん、仕事は、あなた方がすべきことは、機能的でなければなりません。そして、ある構造が機能するためには、一人ひとりが、機能するために必要で十分な自由を持っていなければなりません。リスクを取る能力があり、いつでも許可、許可、許可…を求めに行かないこと。機能主義ではなく、機能的。分かりましたか?勇気をもって進んでください。ありがとうございました!

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